里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(54)」〉長良川流域の自然環境を守る 株式会社郡上割り箸 割り箸・木育事業部長 野村純也さん

〈『日本養殖新聞』2016年12月15日号掲載、2020年4月17日加筆修正〉

雨にぬれた路面がゆっくりと乾き、頭上をおおっていた厚い雲が流れ青空がひろがる。「水のまち」と呼ばれる、岐阜県郡上市八幡町にやってきた。

同市は長良川の上流域にあり、吉田川と小駄良川の三つの川がこの町で合流する。山と川がもたらす水やアユ、林木などの豊かな恵みが「郡上八幡」で独自の文化を育み、城下町の人びとの暮らしのなかで継承されてきた。

冷気が体をつつむ初冬の観光地は人影もまばらで、「郡上おどり」に熱狂する夏とはうってかわり閑散としていた。この日の目的地は「小京都」の面影を残すこの町から、さらにすこし山奥へと進んだところにある。

八幡町からローカルバスに乗り、明宝の地区内でバスを降りる。吉田川にそそぐ小さな清流をわたり坂道をしばらく歩くと、目指す「株式会社郡上割り箸」の工場が見えてきた。事務所を訪ねると、割り箸・木育事業部長の野村純也さん(33)が笑顔で迎えてくれる。

山の資源に目を向け、地域の環境に対する取り組みや経済活動に貢献しようと、平成21年に立ちあがった「郡上割り箸プロジェクト」。同社はその事業を引き継ぎ、その4年後に設立された。郡上産の木材を使った割り箸をはじめ、玩具などの製造販売を行っている。

野村さんに案内してもらい、工場のなかを見せてもらった。心地よい木の香りがただよう屋内には、いろんな工作機械がならび、原形のできあがった玩具の表面をみがく作業が行われていた。

高校を卒業するまで長良川が流れる岐阜市で過ごした野村さん。父親の影響を受けて中学生の頃から「アメリカへのあこがれがあり、日本を出たい」という思いが強く、高校は海外に短期留学できる国際科のある学校で学んだ。関西の大学を卒業した後は、ハワイでしばらく働き、日本に帰ってから飲料メーカーの営業職を7年間務める。

環境に負荷を与えながら、同じような商品を同じように売る大手メーカーの仕事に疑問がつのり、職場を退く。それからカナダのバンクーバーで半年、さらにバンフという田舎の町に移り一年住み、さまざまな人種が暮らす町でいろんな文化や価値観に触れ、働きながら生活した。

その後、岐阜市に戻り仕事を探すなか、環境に関わる仕事をしていた父親からの紹介がきっかけとなり、昨年より郡上に移り同社で働く。「物を売ってきた経験が生かせる。自然や環境に興味があり、面白そうだからやってみようと思いました」。

割り箸が環境を破壊するという考えはいまだにあるが、これは違う。健康な山を維持していくためには、森林が茂りすぎるのを防ぐため、不適当な木を伐採する間伐(かんばつ)という作業が欠かせない。同社がつくる割り箸などは、間伐によって得られたスギを利用して作られている。

自然からの恵みを利用して価値をつくる。消費することによって地元にお金が落ち、雇用がうまれ、さらに自然が守られるという循環ができる。売り手にも買い手にも、地域にも喜ばれる仕組みだ。

国産材の割り箸の自給率は現在わずか2%しかないが、野村さんはこの持続的な循環の仕組みをより大きくしようと、山の現状を伝えながら挑戦を続ける。山を守ることが川を保ち、豊かな海をつくる。「長良川流域の自然環境を守るためのツールが郡上割り箸で、事業の起点なんです」。

野村さんは、これからの地域を担う若い人たちに向けてもメッセージを送る。「東京、海外、違う田舎でも、どんどん外に出て行って知らない世界を知ればいいと思う。岐阜の魅力がわかる人は30歳までに戻ってくるし、都会からも来るでしょう。そうした若者たちのためにも、もっと仕事をつくり会社を大きくしていきたい」。

穏やかだが言葉に力をこめて語る野村さんの活動を、これからも追いかけたい。

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