里山川海を歩くライターの活動記録

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【DoChubu掲載】〈伊那市特集〉地元のおごっつおを味わいのんびりとくつろげる食堂。素朴なあたたかさが魅力のやさい村信州高遠藤沢郷「こかげ」

〈『DoChubu』2012年6月21日更新、2020年4月22日加筆修正〉

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高遠町藤沢地区の山あいで2012年4月29日に開店した「こかげ」。だれもが気軽に訪れくつろぐことができる食堂です

信州高遠藤沢郷。この美しい響きをその名に含む食堂が、おだやかな春の山里にオープンしました。それが伊那市高遠町に誕生した「こかげ」。地元農家の女性らが営み、収穫した米、野菜などを使った手作りの料理を味わうことができます。

かつては宿場町として栄えたという同町の藤沢地区。それがいまでは深刻な過疎化に悩まされ、おしよせる高齢化の波に、地域の活力は失われつつあります。かつてのにぎわいをよみがえらせたい。そんな思いを長年胸にあたためてきた、藤沢でうまれくらす女性が立ち上がって始めた小さな挑戦が、共感する地元の人々をよんで活動の輪をどんどん広げ、だれもがのんびりくつろげる憩(いこ)いの場となって結実しました。

ここにいたるまでの長い道のりは、けっして平坦ではなかったはず。地域の活性化へ期待を集める「こかげ」に込められた思いを聞きたいと、開店を2日後にひかえた2012年4月27日に、伊那市のもっとも北端に位置する、高遠町の山あいにある藤沢の集落へと向かったのでした。

あるものを活かしてつなげる

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食堂の建物はかつての寒天工場を改修したもの。木のぬくもりとともに藤沢の歩んできた歴史が伝わってくるようです

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開店前からの反響の大きさに「とってもありがたいです」と話す「こかげ」代表の藤澤宗子さん

伊那市を訪れると、あちこちから春の足音が聞こえてきました。花びらを雪のように散らすしだれ桜、田んぼのあぜからにょきにょきと顔をのぞかせる無数のつくし、小気味よい音をたててさらさらと流れる小川、遠くから聞こえてくる小鳥たちのさえずり。日差しにやわらかさとぬくもりがうまれ、たくさんの生命であふれる山河はとてもにぎやかです。

そんな光景を愛でながら、市内高遠町の中心部をぬけて、杖突(つえつき)街道を藤沢川にそって一路北へ。山あいのすこしひらけたところで街道をはずれると、なぜか突然あらわれたのは、のんびりと草をはむ牛たち。驚かさないようゆっくり車をすすめると、木目のあざやかな外壁がまぶしい赤い屋根の建物が見えてきます。さっそく中へはいると、「こかげ」の代表・藤澤宗子さんがにこやかな笑顔で迎えてくれました。

この地でうまれそだち、長年にわたり集落が移り変わっていくさまを、暮らしのなかで見続けてきた宗子さん。かつては宿場町として栄え、農業が盛んだった藤沢。薬局や魚屋などの店もあって、買い物にも困らなかったそう。養蚕(ようさん)や寒天づくりも昔から行われ、農家が冬場に営む寒天工場が最盛期には7軒もあったという。そんなにぎわいをみせていた故郷も、時代とともに人が消えていき、「荒廃してさびれていく。元気がどんどんなくなっていく」。そんな状況を嫌というくらい感じていたと宗子さんは話します。

なんとかして藤沢の衰退をとめて、活気をとりもどしたいという願いは、40年ちかくも前から夫の芳博さんとともにあった同じ気持ち。「ここのお米も野菜もとってもおいしいんですよ」。こうした地元の産物を活かして、地域おこしをしたかったと語る宗子さん。もともと宿場町であったことから、この藤沢には訪れた人をもてなす文化があり、冠婚葬祭などもすべて自分たちの家で行っていた土地柄なのだとか。

伝統を受け継いだ女性たちは、この土地のものをなんでも知り尽くしていて、料理の腕も抜群。味噌も自家製のものをつくっている家庭がまだあるのだそう。藤沢の風土がうみだす産物、先人が守り伝えてきた暮らしの知恵、さらに地元を元気にしたいという人々の思い。こうした全てのものが一緒になれば、「藤沢だってまだなんとかなるのでは」。宗子さんはそう言って目を輝かせます。

こうして地域の活性化にむけた活動は、5年ぐらい前から本格化。2009年には志を同じくする仲間の女性11名でグループ「こかげ」を発足しました。「藤沢にあるものを活かす」のが、宗子さんのもっとも大切にしている考え。かつては寒天の製造につかわれ、そのままになっていた木造の工場を、地元の大工の協力を得て一年かけて改修し、食堂としてうまれかわらせました。

「あるものは残して活用し、つなげていきたい」ことから、建物の梁(はり)はそのまま活かし、内装には長野県産のスギをふんだんに使用。食堂内にある家具も地元でつくられたものにこだわっています。建物のなかは、ふきぬけの開放感あふれる空間が大きくしめ、2階部分には寒天工場で働いていた職人たち「てんや衆」の寝泊りしたスペースが、そのままに残されています。

「荒れ放題だった」という食堂の周辺も、宗子さんらの呼びかけに60人を超える有志が地元を中心に集まり、県の支援も受けながら、里山としての整備を寒天工場の改修とあわせ、多くの人々が汗を流し、一年をかけて着々とすすめられていったのでした。

「みなさんの力が本当に大きいです。わたしはただ呼びかけただけ」。そう話す言葉に宗子さんは一層の力をこめます。過疎化はすすんでしまったけれど、いまも地域には変わらない「連帯」がある。完成した食堂のなかに身をおいて、時間を過ごしていると、そうした気持ちが確実に芽生え、ふくらんでいくのを感じました。

地域内での循環をめざす

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木々がかこみ小川が流れる食堂のまわりに広がる山里。澄んだ空気が気持ちを落ち着かせてくれます

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食堂に飾られていた寒天工場だったころの絵。半世紀近くも前の当時を知る「こかげ」の仲間が描いた貴重な一枚です

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食堂のなかには押し葉の絵や鍋つかみなど地元の人々による手作りの商品が並んでいました。宗子さんが朝に焼いたというパンケーキもおいしそう

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手書きのメニューにはこんなメッセージが。食堂内にある一つひとつのものからも藤沢の伝統である客をもてなす気持ちが伝わってきます

宗子さんが開店するにあたりずいぶん悩んだという食堂のメニュー。お品書きの最初に書かれていたのは、「ご馳走ですよ」という意味をあらわす「おごっつおだに」との地元の言葉です。

その日のお楽しみという「こかげご膳」。いまの時期は、豚肉の角煮、ニジマスの塩焼きや季節のものを使った天ぷら、野菜たっぷりのあんかけをのせたニジマスの唐揚げをはじめ、サラダや酢の物、野菜の煮付けや漬物などの小鉢が中心。さらに藤沢では「天よせ」と呼ぶ寒天のデザート、コーヒーまでつく、なんとも贅沢なおごっつおです。

お米は藤沢で収穫されたもの。旬の野菜や味噌も地元産のものにできるだけこだわり、魚は懇意にしている釣り客から提供を受け、肉も豊富な県産のブランドのものを取り寄せて提供します。「こかげご膳」のほかにも定食やケーキセット、おやきなど、藤沢ならではの食材をつかったメニューや郷土の食べものがならびます。

遠方から訪れる客に藤沢のことを知ってもらうのも「こかげ」の活動目的ですが、もっと大切なことは、「ここに住む人たちに元気と自信をとりもどしてもらうこと」。自分たちのつくった野菜や加工品などを、都会から来た人々がうまいといって食べてくれるのは、なにものにもかえがたい喜びであり、地元への愛着をより深めることにもつながる。だからこそ、宗子さんは藤沢でとれたもの、つくられたものに強くこだわります。

10年、20年、もっと前から夫婦で描き、あたためてきた、この藤沢を元気にするための夢のアイデア。その第一歩である「こかげ」のオープンに動きだした昨年に夫の芳博さんが他界。夫の遺志を受けて、宗子さんは「循環」をキーワードにした、これからの展開についても熱く語ります。

この谷で飼っている牛の堆肥からお米や野菜をつくり、「こかげ」で食べてもらったり、消費者に直接送ったり。この小さな谷を拠点に循環した世界をつくるのが、宗子さんが抱く大きな夢です。そして、高遠で食べ物やものづくりをしているさまざまな人が、お米や野菜、漬物から焼きもの、木工品までを持ち寄って集まり、市のようなものを開くことができればとも話します。

お店を開く前からいくつかのメディアで紹介され、大きな反響をよんでいた「こかげ」。プレオープンには、100人を超える支援者らが訪れ、開店を祝ったそうです。「わざわざ来ていただいて失望させるわけにはいかない」と気持ちをひきしめる宗子さん。

「こかげ」のオープンは、藤沢の活性化にむけて動きだした大きな第一歩。地域の山あいにともった灯(ともしび)は、まだ小さいけれどとてもあたたかい。「こかげ」の活動が、藤沢で暮らす人々の心を照らし、ともす明かりの数をこれからさらに増やしていくことでしょう。(新美貴資)

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