〈『DoChubu』2012年7月31日更新、2020年4月23日加筆修正〉
1958年(昭和33年)の創業から長野県伊那市に本社をおく伊那食品工業。会社の歴史は、業務用の寒天をつくるメーカーとして始まりましたが、時代の変化を先取りし、寒天の新たな用途や技術の開発をすすめ、いまでは医療や化粧品など、食用以外にも使われるさまざまな寒天を製造。これまでになかった需要を開拓し、今日まで発展を続けています。
その事業の中身は単なるメーカーの枠にとどまらず、地域の活性化をはじめ、地元のスポーツや文化振興(メセナ活動)、環境への気配りにまでおよび、地元に密着した活動が高い評価を得ています。また会社もふくめた街づくりの一環として、本社および北丘工場のある緑地一体を「かんてんぱぱガーデン」と呼び、働く人や地域の人、訪れる人がのんびり憩える空間がひろがり、年間約35万人もの観光客が足を運ぶ同市の名所になっています。
そんな幅広い活動を行っている同社について、この地で寒天をつくることになった経緯や製造の方法、事業の展開などについてうかがいました。
ひたすら寒天にこだわる
同社をおとずれ応対してくれたのは、取締役秘書広報室長の丸山勝治さん、経理部長の小松浩明さん、野菜を栽培し提供するグループ会社のぱぱな農園取締役の青木一夫さんで、事業の中核となっている寒天づくりやその他にも幅広く行っている活動の中身、かんてんぱぱガーデンなどについて語ってくれました。
和菓子などの原料に使われ、だれもが一度は食べたことのある、昔からなじみのある食品の寒天ですが、どんな風につくられているのかはあまり知られていないのでは。寒天の原料は、テングサやオゴノリといった海藻で、現在は世界の各地から輸入されたものが使われています。
製造される寒天は、粉末や固形、フレークなど、用途によって種類が異なり、かつては角寒天、糸寒天などが農家の副業として生産されていました。そのつくり方は、原料の海藻をまず洗浄し、タンクのなかで寒天を抽出。寒天液と海藻の残ったカスに分離、ろ過し、寒天液を冷却して固めます。ところてんとなった状態に圧力をかけ、凍結して水分をのぞき、乾燥や粉砕などの工程をへると、粉末状の寒天になるそうです。食品としてはもちろん、現在は工業や医薬、化粧品や試薬など幅広い用途に使われており、同社で製造する寒天の種類は100を超えるそうです。
煮ると溶けて、冷えると固まる特別な物性をもつ寒天。「凝固する温度帯は40度前後で冷蔵庫がなくても固まります。いったん固まった寒天は90度以上にならないと溶けない。夏の暑い時期に寒天料理をつくっても型崩れしません。さらに乾物だから保存も楽なのです」と丸山さんは説明します。
昭和の戦後には粉末寒天がつくられるようになり、一般家庭にもひろく浸透。1963年(昭和38年)ごろには、メーカーも40社を超え、製造が盛んになったそうです。ところがその後、消費者の生活様式が変わり、冷蔵庫や電子レンジが一般家庭に普及。食の洋風化が進んだこともあって、寒天の消費は減少の一途をたどります。
多くの同業他社が撤退していくなかで、同社は寒天にこだわりひたすら研究を続けます。「開発に力を入れることによって、新しい寒天をつくり用途を広げてきた」と丸山さんは語り、現在の同社の礎を築くもととなったターニングポイントについて振り返ります。
寒天には、「第6の栄養素」と呼ばれる食物繊維が多くふくまれています。食物繊維には血圧を下げる、コレステロールの低下や大腸がんの予防、肥満をふせぎ便秘を解消するといった作用があると言われ、注目を集めています。いまから約400年前、江戸時代初期に京都でところてんから偶然に製法があみだされ、日本でつくられるようになった寒天。それが信州の行商人の手によってこの地方に持ち込まれ、寒さが厳しく空気の乾燥した諏訪地方を中心に農家の冬の時期の副業として広がります。
気候や風土をいかした地場産業として、最新の研究開発と技術の導入によって進化を遂げながら、この伊那の地でいまも連綿と寒天づくりが行われています。
きれいな憩の場には人が集まる
本社や北丘工場をふくむ3万坪の緑地一帯は「かんてんぱぱガーデン」と呼ばれ、ホールやアートギャラリー、レストランや「かんてんぱぱショップ本店」、山野草園などがあり、多くの観光客が訪れる名所となっています。
「会社も街づくりの一環であり、働く人や地域の人、訪れる人が安心して憩える空間」をコンセプトにうまれた「かんてんぱぱガーデン」。もともとは社員の働く環境を良くしようという発想からうまれ、地域の人たちの憩の場所にもなればということで、本社の社員が総出で緑地の整備に取り組んだところ、地元だけでなく遠方からも訪れる人がどんどん増え、要望にこたえる形でレストランやお店をだすようになり、無料のアートギャラリーなどもそなえるようになったそうです。
「企業もある程度の規模になったら社会や地域貢献が必要です」と語る丸山さんの言葉からは、地元を活性化させたいという思いが伝わってきます。
「かんてんぱぱガーデン」のなかやその周辺、道路での毎朝の掃除、多くの来場者であふれる休日のお店のサポートや駐車場での案内、夏場の草刈りなどは、全ての社員が勤務時間外に自主的に行っているそうです。そこには、自分たちが働く環境は自分たちで良くして、快適に保っていこうとする、明確な意志がつらぬかれています。
だれかがきれいにしてくれるだろうという他力にたよる意識は、かならず汚れにつながる。自分たちで実際に掃除をしてみると、いかに汚れをとるのが大変か、身をもって知ることができる。だからこそ、きれいに大切に使おうという気持ちが芽生え、他者への気配りも身につくのでしょう。こうした環境や人への配慮が、他所から訪れる人々への厚いもてなしにもつながり、地域に広く浸透していくことで、観光客をよびこむ魅力となり、活性化の大きな源泉になる。
「当社は特別なことをやっているわけではありません。昔から当たり前といわれていることをきっちりやっているだけなのです」。ゴミ一つ落ちていない「かんてんぱぱガーデン」の心地よい緑にあふれた清涼感。清掃の行き届いた清潔感ある事務所のなかなど、本社に来るまでに目にしたいくつもの光景を頭のなかでめぐらせながら、丸山さんの言葉に納得を深めました。
同社のこうした行いは、社是としてある「いい会社をつくりましょう」のこの一言に結晶となって表れているようです。同社の言う「いい会社」とは、単に経営上の数字が良いというだけではなく、会社をとりまくすべての人々が「いい会社」であると言ってくれるような会社。そして企業は、会社を構成する人々の幸せの増大のためにあるべきと、「企業目的」のなかでうたっています。
売り上げや利益の大きさよりも、会社が常に輝きながら永続することにつとめる。働く人や環境、地域を一番に大切にする、そんな経営理念にふれ、また手入れの行き届いた「かんてんぱぱガーデン」をあるくことからも、同社の人気の秘密がわかったような気がしました。(新美貴資)