里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(14)」〉誠心こめて夢へと邁進 炭焼きの店「うな豊」店主 服部公司さん

〈『日本養殖新聞』2013年7月15日号掲載、2020年4月14日加筆修正〉

高層マンションや一戸建てがならぶ、閑静な住宅街が広がる名古屋市瑞穂区の豊岡通地区。近くには、かつて国体の舞台にもなった陸上競技場やラグビー場のほか、野球場などをかね備える広大な瑞穂運動場があり、開放感あふれる街並みが続く。その運動場の横を流れ、区内を北から南へゆっくりと走る山崎川は、桜の名所として知られ、春になるとライトアップされた無数の夜桜が川面を照らし、訪れる人々を楽しませる。

豊岡通からすぐのところにある地下鉄「瑞穂運動場西駅」で降り、地上へとあがる。地区内の街路をしばらく歩くと、ウナギの脂をふくんだ、濃厚な炭焼きのにおいがどこからか漂ってくる。空っぽの胃袋を誘惑する源泉に引き寄せられ、たどり着いたのは、昭和の面影を残した懐かしいつくりの店。炭焼きの店「うな豊」の軒先からは、食欲をそそる白煙がもうもうとはき出され、暖簾(のれん)をくぐる客足が絶えない。

昭和35年の創業以来、多くの客でにぎわう繁盛店を営むのは、二代目の服部公司さん(55)。息子や娘らと店を切り盛りし、忙しい毎日を送る。ウナギ職人として板場に立ち続けて30年を超える公司さん。地元の大学を卒業した後、父親の豊吉さんがこの地に構えた「うな豊」に入り、修行をつんだ。「かなりの域に達していた」という頑固一徹の厳しい先代からは、直接手ほどきを受けることはなかったが、その後ろ姿を盗み見ながら、さばき方や焼き方などの技術を身につけた。高齢のため豊吉さんが退いた4年目からは、店の看板を背負う立場に。修行時代の厳しさについては多くを語らないが、手指に残るいくつもの傷痕(きずあと)からは、幾度となく壁にぶつかり、乗り越えてきたであろう苦労の跡がうかがえる。

三河一色などから取り寄せるウナギは、注文を受けてから腹開きしたものを、地焼きして仕上げる。長年の修練からうみだされる、絶妙な焼き加減の蒲焼きは、ぱりっとした香ばしさとふんわりとしたやわらかさをあわせもつ。三河産のたまりを使ったタレは、辛くもなく甘くもない「こってりとあっさりの中間くらい」。先代からの製法を守り、継ぎ足してきたものを使う。

もっとも熟練を要する「焼きの作業に終わりはない」と語る公司さん。「師弟であり、仲間であり、ライバルの関係でもある」という息子の奨平さんとは、ことあるごとに意見を交わし、探求をかさねる。以前に東京の有名店で口にした、蒸して熱を通しからふっくらと仕上げる関東風の焼き方に衝撃を受け、「やわらかくて地焼きのようなさくっとした食感もある、どんな方にも好まれるようなウナギをだしたい」と意欲をみせる。

長引く稚魚の不漁から不安に陥り、眠れない夜を過ごすこともあったと明かす。それでも客の満足を第一に考え、真摯にはげむ姿勢はくずさない。父親から学び、確立した職人としての技は、こめられた思いとともに、確実に次代へ受け継がれようとしている。「ありがとうございました」。公司さんと奨平さんの元気な声が今日も店内に響きわたり、食べ終えて満足の表情を浮かべる客を気持ちよく送りだす。夢に向かって邁進する親子鷹の挑戦はこれからも続く。

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