里山川海を歩くライターの活動記録

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〈新美貴資の「めぐる。(13)」〉安くておいしい庶民の味を継承 炭火焼専門店「うなぎの鰌鎌」代表 服部智和さん

〈『日本養殖新聞』2013年6月15日号掲載、2020年4月14日加筆修正〉

陽の傾きがすこしずつ増し、照りつける日差しにやわらかさがうまれる初夏のとある日の夕方、香ばしいウナギのにおいが立ち込める店内に、買い物かごを手にした年配夫婦が仲良くふらりと立ち寄り「一本ちょうだい」。家庭的な雰囲気がただよう店の奥からは、あたたかな笑みと愛想のよい声が返り、焼きあがったばかりの熱々の蒲焼きを包んだ袋が常連客に手渡される。名古屋市瑞穂区に店を構える「うなぎの鰌鎌(どじょかま)」で見られる、いつもの光景の一場面だ。

140年以上続く、名古屋ではめずらしい蒲焼きや白焼き、肝焼きの持ち帰り専門店を営むのは、五代目の服部智和さん(36)。母親、奥さんとともに代々続く老舗の看板を守り、地元の人々に愛されてきた「庶民の味」を継承する。店舗のある下坂町は、創祀(そうし)から1900年を数え、多くの崇拝を集める熱田神宮から近く、さまざまな商店や民家が混在した、雑多な下町の雰囲気がいまも色濃く残る。そんな街並みに同化して溶け込む、飾り気のない素朴な店のつくりからは、多くの客に親しまれながら現在にいたる、老舗の足跡がじんわりと伝わってくる。

40年間休まず立ち続ける母親の公子さんによると、店は明治時代の初め頃に現在の市内熱田区で創業。昭和の戦災をうけて、隣の区にあるこの地域へ移ってきたという。30年前までは、ウナギとともにドジョウも扱い、串焼きや蒲焼きにして売っていたことが、店名の由来につながる。ウナギの蒲焼きを秤売りで提供するのが昔からのスタイルで、サイズや焼き加減、かけるタレの量など、舌の肥えた客の注文にあわせて仕上げていく。

この道に入って15年になるという智和さん。学生のときから家業を手伝い、跡を継ぐことに迷いはなかったという。祖父から包丁の扱いや串打ち、焼き方などの手ほどきを受け、体で覚え身につけていった。蒲焼きは、腹開きしたものを蒸さずに地焼きする名古屋風で、代々継ぎ足して使ってきた秘伝のタレに、何度もドブ漬けしながら炭火でじっくりと焼き上げていく。

納得のいく蒲焼きを届けるために、智和さんが大切にしているのがウナギの質の見極めだ。「地焼きしたものの持ち帰りだから、ごまかしがきかない」。毎日仕入れる活鰻は、三河一色産を中心に、その時期に池あげされるもっとも良質な産地のものから吟味して取り寄せる。同じ産地であっても、サイズや池によってウナギの身質は異なるうえ、その日の気温や湿度で炭の状態も変わることから、火の勢いを操りながら行う焼きの部分は、もっとも神経を使うという。「続けるということは難しい。すべてがなかなかうまくはいかない」と話す智和さんは謙虚な姿勢をくずさない。

長引くシラスウナギの不漁から、昨年は仕入れにも苦労し、若干の値上げを余儀なくされた。それでも「みなさんに喜んで食べてもらいたい」と、価格はがまんしてできるだけ据え置く。ぶれのない気持ちが客との絆をさらに太くし、信頼を深くする。「次の日に食べても、冷めてもおいしい」のが店の自慢。「これからも安くておいしい蒲焼きを提供していきたい」。穏やかななかに確かな自信を秘めた表情でやさしく語る。

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