里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(24)」〉自然を思いやる 「郡上だも」を伝承する釣り師 成瀬博明さん

 〈『日本養殖新聞』2014年5月10日号掲載、2020年4月14日加筆修正〉

岐阜県の中央にあって、奥美濃地方にひろがる郡上市。市の中心をなす八幡町は、長良川、吉田川、小駄良川の三川が合流する「水の都」として知られる。豊かな名水が長い年月をかけて人びとの営みに浸透し、この地で固有の文化をはぐくんだ。城下町の面影を色濃くのこし、寺社が多いことから小京都とも称される「郡上八幡」より車で一路北上、急峻な新緑の深みへとわけ入る。坂道をしばらくのぼると、ぽっかりと小さな盆地がひらけ、明宝地区の気良(けら)という集落にたどり着く。

連日の冷たい雨がしとしと降り続くなか、水かさを増した気良川がごうごうと勢いよく流れる。目にもあざやかな緑の濃淡が四方をかこみ、田植えの時期をひかえ、鏡のように静まる美田がのどかな山里の光景を映しだす。うるおいをたっぷりと含んだ山気をふかく吸いこみ、春をむかえて歓喜する生き物たちの息吹に耳をそばだてながら、一歩ずつ大地を踏みしめて歩く。

この地に自然との共生をきわめた達人がいる。一年の大半を山河で過ごす成瀬博明さん(65)。アユやアマゴ、サツキマスをねらう本流釣りの名人で、シカやイノシシを狩る猟師でもある。独自の発達をとげ、全国へと伝播した釣り文化の本源の地で、竿や魚籠(びく)とならぶ伝統の「郡上だも」をつくり続ける。

大都会の名古屋で生まれ、学生時代を過ごした成瀬さん。釣り好きだった父親の影響をうけて、幼いころから地元の海辺を釣りあるき、自然の生き物たちに魅せられる。社会へでて建設業に従事し、東京や名古屋での暮らしをへて、郡上に移りすんだのは29歳のころ。このときより、釣りと猟で春夏秋冬をおくる生活が始まる。

成瀬さんの人生において、絶対的な影響をあたえたのが、釣り人のなかで知らない人はいない、本流釣りを確立した伝説の職漁師・恩田俊雄さんとの出会い。亡き師匠からは、本流釣りの技と心だけでなく、自然との生き方を学んだ。名匠と呼ばれるたもづくりを始めたのも、恩田さんから勧められたのがきっかけ。「木には性(しょう)がある。個性のあるものを選び、もっているものを最大限にいかす」。成瀬さんは「がや」という節の多い木をあえて使う。「節がたくさんあるのも味があっていい。木には一本として同じものはない。みんないろんな顔をもっている」。余分な伐採は行わない。出会った大切な一本に新たな命を吹きこみ、郡上の釣り文化を伝承する。

あらゆる食に対して造詣がふかい成瀬さんは、ウナギについても「養殖には養殖のよさがあるが、夏の時分の天然は本当にうまい」と、やんちゃだった少年時代ときっと変わらない純真なまなざしで語る。そんな好物のウナギだが、地元の河川では護岸改修によって多くの淵が失われ、「棲める場所が少なくなった。大きなものがいなくなり、数も減ってしまった」となげく。山も川も、暮らしはじめた頃にくらべると、環境は悪くなった。「なぜアクションをおこさないのか。危機感をもつ人がまだまだ少ない」。長良川河口堰の建設時には反対の声をあげ、果敢に運動した釣り師の言葉が胸の奥に突きささる。

成瀬さんが所属する郡上漁協では、故郷の清流を守ろうと、源流域での植樹活動などに力をいれる。「釣り人が立たない川はさびしい。若い子たちが遊べる川を残すのが、僕たちがやらなければいけないこと」。「自然を思いやる」という恩田さんの教えをかみしめ、郷土を舞台に生き物たちとの歩みをこれからも刻む。

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