里山川海を歩くライターの活動記録

水産のいろんな世界を歩き見て、ひとの営みや暮らしを伝えています

〈新美貴資の「めぐる。(33)」〉結いの精神で川と生きる 長良川漁師 平工顕太郎さん

〈『日本養殖新聞』2015年2月15日号掲、2020年4月16日加筆修正〉

延長166キロ。岐阜県郡上市の大日岳に源流をもつ長良川。県内を北から南に縦断し、愛知、三重県をぬけて伊勢湾へとそそぐ。83万人の流域人口を抱える一級河川は、人びととの営みを日夜繰り返し、多くの生命を育みながら、澄んだ山水をおくり続ける。中流域にひろがる流域最大の都、岐阜市を訪れたのは、寒さの厳しい晩冬のころ。市の中心街から近い長良橋よりすこし上流にのぼったあたりの、観光旅館が立ち並ぶ河岸沿いの道を歩く。

頭上から降り注ぐ陽光を受け、きらきらと輝く川面をのぞく。多彩な青や緑が溶けこんだ、神秘で深遠なる水の色に目を奪われ、風のない陽だまりのような温もりのなか、まだ遠い春の匂いを感じとる。対岸の先には、長良川とともに地域の象徴をなす金華山が急峻な角度でそびえ、その頂に建つ岐阜城天守が、人びとの暮らしを見守り続ける。

郷土の里川を、大切な宝物のように見つめるのは、漁師の平工顕太郎さん(31)。長良鵜飼の鵜匠に仕える、現役最年少の鵜舟船頭としても活躍する若き川びとは、この地で生きることを心に誓い、先人たちが培った技と知恵の継承にはげむ。

岐阜市で生まれた平工さんの子供のころからの遊び場は、いつも長良川だった。小さなときから本流では泳ぎ、支流の小川や用水路ではフナ釣りに熱中した。小学生になるとアマゴと出会い、その佳麗な魚体に惹かれ、渓流釣りにものめり込んだという。幼かったころの思い出のなかでいまも忘れられないのが、深くもぐった谷川のなかで、とびきり美しいアユを見つけたときのことと、足を滑らせて流れに転落し、おぼれそうになったときのこと。同じ日に味わった、感動と恐怖の二つの原体験が、自身と自然界とをむすぶ最初の記憶として脳裏に残る。

市内の高校を卒業すると、水産学を専攻するため関東の大学に進学。まわりは海の研究ばかりという環境のなかで一人、内水面をフィールドにしたアユの行動生態を研究テーマに選ぶ。大学3年生のときには、寝袋をもって岐阜県内の漁協事務所に飛び込み、関係者の自宅で寝泊まりをさせてもらいながら約3週間、河川の現場でアユの調査も行った。

一つひとつの貴重な学びを、学生時代から意識してかさねてきた。「毎日が修業です。あえて無駄を惜しまず、いろんな経験を積んでいます」とにこやかに語る。大学を卒業後に、カヌーイストで作家の野田知佑さんが校長をつとめる徳島県の「川の学校」でスタッフとして働いたことも、岐阜県にもどって会社員として働きながら、週末ボランティアで川遊びに協力してきたことも、いまの生き方と太くつながっている。

「川で生計をたてる」ことを目標に掲げる平工さんは、幾多の曲折と修練をへて、2年前より鵜舟船頭として働く。またベテラン漁師に師事し、長良川に伝わる様々な漁法について教えを乞い、実践する。昨年夏には、自らの舟に客を乗せて、川の魅力に触れるエコツアーを行う組織「結(ゆい)の舟」を立ち上げ、ひとと川をむすぶ活動にも力をいれて取り組む。

「人間の都合で進まないのが川での暮らし。スケジュールは自然まかせです」。「舟をもつと世界が変わる」というその生活は、つねに天候を読み、水位のわずかな変化にも気を配る毎日になった。二四時間、川に寄り添ってともにするという、特別な感覚をまとうことによって、自然との関係がより濃密なものになっていく喜びを日々実感する。

地元漁協では、組合員の高齢化と減少に直面し、伝統漁の存続が危ぶまれているが、向上心と好奇心にあふれる壮者は、己の可能性を信じ、迷うことなくまっすぐに進む。「いまやっていることが、きっと上達につながる。30年後、一人前の漁師になるために一つひとつを組み立て、ステップを踏んでいるんです」。ここまで育ててくれた恩人、応援してくれる多くの客、そして故郷の川の未来のためにも「期待に応え、成長したい」という平工さん。ともに助け、支えあう結いの精神を胸に刻み、今日も長良川とともに生きる。

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