里山川海を歩くライターの活動記録

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豊かな漁場を守り里海の再生へ ピーク迎える三河湾のアサリ漁

〈『水産週報』2008年6月1日号寄稿、2020年5月24日加筆修正〉

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漁が最盛期に入った三河湾のアサリ

アサリの漁獲量が全国トップの愛知県。主な漁場となる県内三河湾のアサリは産卵を前に身が太り、もっとも美味しく食べられる旬の時期を迎えている。3月からスタートしたアサリ漁はピークに入り、産地は活気づいている。

4月に入ると名古屋市内の食品スーパーや鮮魚専門店では、おすすめ商材として愛知県産のアサリの販売に力を入れる。「味が濃いのが特徴」(鮮魚専門店)といわれる三河湾産。3月から5月にかけてもっとも入荷が多くなる同市中央卸売市場でも「昨年に比べて今年は身入りが良い」(卸関係者)と太鼓判を押す。

アサリの産卵は、北海道など一部をのぞいて春と秋に集中する。三河湾の産卵期は5月と10月頃で、「春は水温上昇によって餌となる植物プランクトンが多く発生。急速に身入りが良くなる」(県水産試験場)。産卵前のアサリには、うま味となるグリコーゲンがたっぷり含まれる。このため、三河湾のアサリは4月から5月上旬までが一年でもっともおいしい時期となる。

▼浜値は前年並みで推移 一日3トン水揚げも

三河湾に面する東幡豆は、潮干狩りでも有名な県内有数のアサリ産地だ。訪れたのは4月下旬のとある日。3月中旬からスタートしたアサリ漁はピークを迎え、多い時で一日3トン以上を水揚げる。「今年はサイズも大きい。価格もまずまずで経営も落ち着いている」と東幡豆漁協の加藤克也主任は話す。

アサリを採る漁法は、長柄マンガ、腰マンガ、手掘りの3つ。マンガと呼ばれる、爪のついた鉄製のかごを、柄をゆすって海底の砂にもぐらせて採る。採貝漁業の経営体は約50で、このうち半数以上が腰まで海につかって操業する腰マンガ漁だ。潮の干満によって、4月の操業は半月弱ほどになる。

採貝漁業者の多くは小型底びきなどを兼業する。燃油の高騰が経営を圧迫する厳しい状況のなかで、アサリ漁は漁場が近く、設備投資もほとんどかからないため、安定した収入を見込むことができる。しかし、肉体を酷使するマンガ漁は腰を痛めるほどの重労働。漁業者の多くは60歳以上で、その負担は想像以上に大きい。

この日水揚げされたアサリの集荷は、干潮から2時間経った午後2時すぎから。漁協横の荷捌き場には、漁船から採れたばかりのサイズの良いアサリが勢いよく運びこまれる。アサリの漁獲は一人100キロまでと制限されており、漁業者は4分半、5分、6分の網目をもつ「とうし」と呼ばれる道具でふるいにかけて大、中、小のサイズに選別。漁協の正組合員で構成する「なぎさ会」の管理、運営によって手際よく次々と計量されたアサリは、20キロごとに袋につめられ、漁業者の名札が投げ込まれていく。

「(三河湾でも)浜によって味が微妙に違う。なかでも島で採れるアサリは大きいしうまいよ」。作業をしながら年配の漁業者が笑顔で教えてくれる。東幡豆の地先に浮かぶ前島、沖島はアサリの好漁場。特に沖島では貴重な天然のアサリが採れる。「ここのアサリの味を知ったら他は食えない。ひと味もふた味も違う」と別の漁業者が自信たっぷりに話す。

この日の水揚げは約3.4トン。仲買人との相対取引で、キロ当たり650円(大)、380円(中)、250円(小)の値がついた。4月の浜値は中サイズで400円前後とほぼ前年並みで推移した。漁は5月いっぱいで終わり、9月から再開する。アサリは暑さに弱いため、夏場の水揚げ後はすぐに傷んで品質が落ちてしまう。このため、例年ゴールデンウィークを過ぎると浜値は下がりはじめるという。

「なぎさ会」によるアサリの漁獲は東幡豆全体の6割ぐらいで、昨年の水揚げは約350トン。今期について加藤主任は「例年並みかそれ以上になるのでは」と話す。

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3トンを超える水揚げで活気にわく漁港の荷捌き場

 ▼全国の漁獲は激減も三河湾の資源は安定

 国内のアサリの漁獲量は1980年代前半まで14万トン前後を推移したが、以降は減少の一途をたどっている。農水省の統計によると、07年のアサリ類は3万5900トン。ここまで落ち込んだ原因として、沿岸開発による漁場の喪失や過剰な漁獲、漁場の生産能力の低下などがあげられている。03年には水産試験場の専門家らをメンバーとする「アサリ資源全国協議会」が発足。アサリの生産を10年で2倍にする目標を掲げているが、「浮遊幼生、初期の着底など詳しいメカニズムが不明」(水産庁研究指導課)といまも謎が多く、資源回復の鍵となる生態の解明が急がれている。

一方で、愛知県の漁獲量はここ数年1万トン前後と安定している。07年のアサリ類は1万3600トンで、2位熊本県の5100トンを大きく引き離している。

全国的にアサリの生産が減少しているなかで、なぜ愛知県のアサリ資源は安定しているのか。県全体の8割以上が漁獲される三河湾は「他の海域に比べて干潟が多く、幼生が着底する良い条件が残っている」(同)。さらに「湾内が穏やかで餌が豊富」(県水産試験場)なのも大きな特徴。稚貝の供給場となる湾内の豊川河口では、毎年多くの幼生が発生、着底する貴重な干潟となっている。

県内では殻長2.5センチ以下のアサリの採取は禁止されており、「資源管理が浸透し、漁獲制限で採りすぎないよう努力している」(同)ことも大きい。安定した生産を維持するためにも、全国各地で問題となっているエイや巻貝による食害への対策も含め、漁業関係者による資源、漁場管理への取り組みは欠かせない。

 ▼浜への愛着と地元産への誇り

工業化によって失われた漁場も多いが、いまも三河湾は豊富な魚介類に恵まれた全国有数の内湾であり、漁業は地域の生活と深く結びついている。就業者の高齢化など、日本の漁業全体が直面する多くの課題も抱えてはいるが、アサリの集荷場面では威勢の良い声が飛び交い活気にあふれ、居合わせた人々の笑顔がとても印象的だった。

「東幡豆のアサリが一番」。たくさんの大粒のアサリを前に地元の年配女性がつぶやいた一言。伝わってきたのは、浜への愛着と地元産品への誇り。海からの恵みに感謝し、将来に向かって大切に漁場、資源を守り続ける。県による「三河湾里海再生プログラム」も新たな施策として動き始めた。日本の豊かな内湾の象徴として、三河湾への期待はさらに高まっている。(新美貴資)